傷口

 

私は円卓で珍しくお酒を交わしていた

私が得意そうに詩に関する知識を友人に披露していると

私の後頭部には

刃物で切ったような傷が知らぬ間に生じ

傷口から 一つの眼が私の様子を冷やかに見つめていた

眼はしばらく私を見つづけた後 背を向け 

私の鳩尾へと沈殿していった

傷口はいまだ開いたままである

 

太古

  

冷たい秋の風に干され

水気を外へと吐きつくした木々たちは

渇きの露顕すら厭わず

その眼差しを身の奥深く

凍えた夜へと向けた

 

来るべき冬には

光が途絶えることを彼らは既に知る

 

そしてまた

遠く向こうの記憶を弄っては

息吹く春の陽の感触を

ゆっくり ゆっくりと

想い出していく

  

 

夕暮

  

たまには夜も必要だと

白く雪残る山は言った

 

温かな陽が

彼(か)の懐に

おもむろに呑みこまれていく

 

そんな時はいつもより

大きく眼を開けて

息を殺し じっと

立ち尽くしている他に

すべきことがない

できることがない

 

凍った時

 

 

時間の凍結

ひしめき合い

切迫している  

天と地が

梢と根が

排出と吸入が

男と女が

宇宙と世界が

あなたとわたしが

密着している

均衡が象(かたど)られていく

  

 

木の言語

 

 

あなたの泉から

湧き出づるまでは

決して焦ってはならない

あなたは大地に根を張って

呼吸をしていればよいのだから

「どうすればよいのか」と問うてはならない

わたしは数百年来そうしてきたし

これからもそのつもりだ

 

  

永劫

 

そしてわたしは一本の樹になったのだ

色を脱いだ大地に受けられて

 

音のない声があたりをこだまする

 

封ぜられた時が

再び溶け出だすまでの

安らかな眠りの中

 

委託

 

 

今 目の前に凛然と聳える樹木の葉が

優美にその色彩を旋回させているのが見える

そして私の体は透明になって 

その移ろいに包まれているのだ  

私は全てを委ねよう

己がこれからが

自らの顧慮の範疇に属すことはない

 

照光

 

裸身で雨に打たれるは

そぞろ足でも踏みしめて

刃の森を歩むこと

 

その時朝を迎えるは

遍く地平に立ち入りて

裂け目に光が入るること

 

旋回と着地

 

 

見飽きた平面を離れ

足場のない空に浮く

根っこは自分で刈り取った

はじめて見たのは銀の月

手招きされれば赤い星

世界はこんなに覚束ぬ

右に寄れども左へ流され

上を覗くが下にも行かん

優柔不断もいい加減

世界の広さに疲れも覚え

そろそろ眩暈もしてきたところ

言い訳まじりに過剰に眠り

ぽっかり井戸へと落とされて

底でしばらく震えていれば

上からロープが垂れてきて

登れば知らない場所だった

空気の澄んだ場所だった

 

 

 

どこからか

水が流れてきて

今の器では

こぼれてしまうから

器をまた

土に還し

泣きながら

捏ね上げる

 

 

被投

 

誰かの手で

どこかから

投げ落とされたのだろう

 

この地球の上で

人間としての生涯を

全うするなどという

大それたことを

私からは

望んだ覚えなどないのだから

 

 

 

開いた本の上を 

まだらな光の粒が 

浮かんでいる 

 

未だ私が知りえない 

生に散りばめられた 

密やかな仕掛けは 

こうして不意にやってくる

 

奔流

 

 

奔流する樹液は

音をたてながら

天へと昇り

形姿を突き破る

 

枝や樹皮などは

変形を迫られ

樹液を追いかけて

後から覆い被さるだけ

 

 

秋の風

 

木の葉の色が揺れ

川面の陽が瞬く

私の眼は開かれて

微細な風の動きを見た

 

そこに私の在所を見た

ああこんなにも

こんなにも風は吹いていた

冷たい秋の中で

こんなにも風は吹いていた

 

流浪

 

刻々移ろう風の中 

ぷかりぷかりと漂いながら 

季節の色を吸いこんで 

私は名前を置いてきた 

小屋の樹からは葉が落ちる

 

 

 

風が吹く

びゅうと吹く

雷雨の後には風が吹く

透明な風が吹く

びゅうと吹く

埃もたてずに吹く

混じり気のない風が吹く

迷いのない風が吹く

どこからか吹く

どこかへと吹く

 

 

一隻の舟に乗って

海に運ばれたあなたが

向こう岸から見つめている

 

風に目を潰され

沼に足を食われ

泣き わめき 叫ぶ

わたしのことを

 

向こう岸から見つめている

 

左右を往来する時計の振り子を

遠くで冷やかに眺めている者がいる

 

時は拒んでいる

何かに刻まれること

何かに運ばれることを

 

時は

時の上を

時のぬかるみの上を

ぎしりと踏みつけて

ぬかるみに足をとられては

ぎしりと踏みつけて

のそりとにじり寄る

未だない気配へと

のそりとにじり寄る

 

 

空洞

 

 

木の間を風が通り過ぎた所をよく見てみたら

出口の見えない白の空洞が出来ていたのです

 

空洞の入口は

はっきりとした線で輪郭が示されており

淡い黄色の光が断続的に放たれています

 

少し身を乗り出して空洞を覗いてみますと

今私が住むところとは風向きが随分と異なるようで

どうやら空洞に入った暁には

終始向かい風を受けるだろうことが予想されます

 

今私が住む場所においては背から胸のあたりを通り抜けるように

いわば私を押し出すようにして風が吹いていて

川は透明に流れていますし

草木も楽しそうに揺れてはいるのですが

そろそろ新たな摩擦を望んでいる胸の内もありますので

 

今しばらくの休みを頂きましたなら

空洞の中へと我が身を投げうちまして

体だけを灯りとした探索を楽しんでみたいと思っています

 

季節

 

 

忍びと歓待に

因果を見いだせない未熟さは

繋がれた競技馬

 

いつも季節と和解する

あなたの分厚い皮を引き剥がし

細く流るる血を汲んで

つと一滴を飲み干せたなら

透明な漂流の態をなして

いのちに傾いていけるというのに

 

春とはなんだったろうか

私は未だ思いだせないでいる

 

  

 

呼吸

 

 

私の心肺は晴れでもない

雨でもない

重たい鉛色の雲間に置かれ

間際で呼吸を保つだけ

 

しかし見よ 

新たな生命が萌えようとしているではないか

 

目の前を行く川の水が

これほどに透明だったことを

私は今まで知る由もなかった

 

川だけでない

 

風の吹く様が

草が揺れる姿が

田の水を照らす陽が

 

これほどにありありと

私の中を駆け巡り

私に触れ 私を撫で

覆っていたことがあっただろうか

 

私は新たな息を覚えるのだ

そうしてまた一つあなたに近づくことが出来るのだ